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クリーニングの三共リブレ

洗濯屋親父のひとり言

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コロナ禍で、やっとバレエの公演が活発になって来ました。

そっと舞台だけを観て、大きな声を出すこともない観客達、
それが認められて来たのです。

すみません、久しぶりの投稿です、コロナでじっとして居る中、バレエの活動が再開され、鎌首を上げます。

最初は演技者がマスクをするなんてことが囁かれて
居ましたが、まあこれってお役所ですね、それは
撤回されたようです。



☆衣装で活気づく工場です。



☆これは、衣装の袖先です、一生懸命の結果ですね、綺麗にしてあげましょう。

☆綺麗になりました、衣装は同じものを違う役者さんが着ます、汚れもさることながら匂いを消す、これが大事です。

今日はこれから、神奈川県民ホールに集荷に伺います、
これから年末まで、目白押しとなりますね。



しかしなあ、人が動けばコロナの餌食という構図は変わりません。



今日からの三日間で、どれくらい増えてしまうのか、医療関係は
戦々恐々と思います。

ゴーツーイートは止めないと、でも何処かでやめろやめろの合唱
が聞こえます。



悩ましいです、活気が引っ込んでしまうことだけは
懸念しています。



では、行って来ます。いつもなら県民ホールの後に、中華街へ
なんてこともあるのですが、止めます(笑)

毛玉も汚れの内です!!

これも仕事です。



着ている服をきれいにする、それは、汚れを落とす
シミを抜く、それだけでは不十分です。



付いている埃を取る、猫犬の毛を取る(中には取らなくて良いよと)でも、他の服達が嫌がるので取ります。



そして、毛玉を取る、です。





これは一例です。



ウールに化繊が混じっている服は、多くの毛玉が出来ます。
化繊が摩擦で静電気を起こす、それが繊維を持ち上げて絡まるのです。



あるお客様、クリーニング屋さん、洗濯すると毛玉も取れるのね!(^^)!と、
そんな訳ないだろ!!と心では思いつつ、
笑顔だけを贈る私です。



でも、このようなことパートさんにはやって貰えません、何せ時給ですからね。



私のような暇な経営者がやることです、ですのでおのずから限界はあるのですが・・・、



やれるうちは、頑張ります!!

嬉しかったなあ

昼ごろに会社にやってきた銀行の営業担当、
今年の返金額を相談に来たのです。

その担当、コロナで売上は低迷し、前年を割りました、
これでは返金額を増やすことは無理ですねと、分かっ
たようなことを言う。

もう少し気の利いたことは言えないのか、コロナの折
でも、よく頑張ってらっしゃいますねとか(笑)



銀行はそんなことはどうでもよいのですね、要は利益が
出たのか出ないのか、債務はいつ返せるのかという数字
だけが大事なのですよ。



そんなやり取りの途中で、隣の部屋から話し声が聞こえ
始めたのです。



安普請の部屋、隣はパートさん達の更衣室です、丁度昼休み
で、賑やかになる時間でした。



聴くとはなしに聴いた言葉達、それは銀行員の耳にも真っ直ぐに
入って来たようです。



その話題は、学校がとか、何処のスーパーが安い!!とか
そんな内容を想像するところなのですが、でも違いました。



話題となっていたのは、今の現実の日本のことでした。



GOTOキャンペーンの話題が初めにあり、それを受けて
あるパートさんが、意見を述べ始めたのでした。



そんなことやって居ないで、何故今本当に困っている熊本
に応援をしないのか!、何故そこに手を差し伸べないのか
と怒っているのです。



それに呼応した他のパートさんが、この感染拡大の中で、
何とかキャンペーンを張るより、今困っているそれも生きるか
死ぬかの状況に、何も出来ないのは残念だと。



そういうお金の使い方なら、私達も賛成するわ!!と、違うパートさん。



それを聞いていた銀行マンさん、普通の更衣室での話題なのですよね
と、聞かれました。



誰も演出なんてして居ません、私も初めて聞いたくらいですから・・・、

銀行さん驚いたのでしょう、ちょっと態度が変わったのでした、それで
何が変わることも無いのですが。



私は嬉しかったのです、真面目な人達が欲しいと、実際望んでも望んでも
そういう人達ばかり集まるなんてことはありません。



仕事はまさにパートタイマー、出来るだけ責任のない仕事を時間で
こなす、それが普通です。そして、人の噂や、同僚をこき下ろしたり
と忙しいのです。

でも、今はそうではない、真剣に仕事と向かい合う彼女らの姿勢に
日々、感動すらしているのです。



そして今回の更衣室での話題、銀行さんが驚くのも無理はないと
思ったのでした。



これは、この会社は信用出来ると、そう思われたかどうかは
分かりません、でも何かを感じていたと、私は思いました。



でもしかし、そういう意味でのありがとう!!では有りません、
彼女達の自然に魅せる姿が、こんなにも美しいのかと、
自然に会話する内容が、こんなにもやさしいのかと、私は、
それを聞きながら思わず心に、ありがとう!!の言葉を
浮かばせたのでした。



感謝!!

洗濯屋親父の「染色」です。

以前から頼まれていた、黄色のニットカーディガン・ベスト・スカート、もう歳で、黄色は着られないと、色を掛けられますか?と。


何色に染まるか、先ずは、ご希望の色にはなりづらいと、悲観的なことを
お伝えしました。

黄色で無ければ良いわって、言われたのですが、ちょっとなあと。

でも、お引き受けしました。

染め粉は、ホームセンターのダイロンです。



バイオレットブラック、上手く混合(黄色と)すれば良い色となるでしょう。


ニット三つ揃いは、中性洗剤で洗い、濯ぎました。これを、染め粉を溶かした液に
浸けこみます。


染め粉を40度程のぬるま湯に入れて溶かします、この際、ここに塩を相当量
入れておきます。そしてよーく混ぜ込みます。




溶液に、ニット三つ揃いを入れ込んだ写真です。

これをよく揉んで行きます、そして45分程放置します。

この色だと、どんな色に上がるだろうかと心配になりますが、結構明るく
仕上がるのです。




ちょっと写真が上手くないです、すみません。

まっ黄っきから、程よい色に仕上がったと思いました。

縮まないようにと、その辺りに大変気を使いました。

お客様、気に入っていただくと、嬉しいのですが。



パートさんの嬉しい 叫び!!

クリーニングシーズンに入り、ネット宅配「リアクア」(全国から宅急便で集荷)の、お布団が増えて来ました。

昨年は、300点程、お布団を預かりました。

お布団担当のパートさんは、僅か二名でです。

お布団が届くと、それを開封して一枚一枚チェックを行います。シミの具合、汚れの具合そして解れが無いか等々チェックして、表側の生地と、内容物(羽毛、シルク、羊毛、ナイロン等々)により、クリーニング方法を決めます。

お布団は、相当量の汗が含まれています、ですから出来れば「水洗い」が好ましいのですが、中には出来ないお布団も有ります。それらを見極めながら彼女らは洗いに指示を出します。

★この写真はネットからお借りしたものです、文内のものとは違います。

お預かりしたお布団は殆ど保管付ですから、最終お届けは11月も終わり頃でした。そしてそこからちょっと不安がよぎります、パートさんの顔にそれが現れるのです、それは・・・・・、クレーム・返品の電話が入らないかという不安です。

自信を持ってお返しした布団達が、無事にお客様に届きそして、暖かい夜を過ごされているだろうか、変な匂いが出ていないだろうかと、自信はあるのですが、不安もよぎるのです。

返品ゼロ、クレームゼロ、それが判断出来るのは、冬布団を使い始めたであろう12月を無事に過ぎた辺りなのです。

昨年末、今年もクレーム・返品ゼロでした、ありがとうございましたと、二人のパートさんにお礼を伝えました。


そのパートさんが先日、突然叫び声を上げました、あ~~っと、このお布団覚えて居ますよ、去年私が仕訳をしたお布団です!!、

そして・・・、ああ~今年も出してくれたんだ、嬉しい!!って

このお布団で、寒い冬を越して来たんだろうなあと、そんな想像をされたのかと私は感じました。

こんな考えをするパートさんが居る、何と素晴らしいのだろうと、私は胸がジーンとしました。

プライドを持った仕事をしている彼女達、とかくクリーニングという仕事はなかなかプライドを持てない仕事と言われます。でも、それも考え方、受け取り方、生き方の問題なんだとつくづく感じさせられました。


お陰様で、物凄いリピート率となって来ました。出来上がったお布団を開封した時の、新しい新鮮な匂いを、もう一度と思われるのか、梱包したパートさん達の魂が宿っていることを感じるのか、お客様のお気持ちはわかるはずも有りませんが、この沢山のリピートの事実が、お客様から「ありがとう」と言葉をいただけているようで、感動しております。

パートさん、ありがとう!!

パートさんとの「バス旅」

私共のパートさんに、少しでも楽しんで貰いたいと思い、毎年このクリーニングオフ時期に、バス旅を企画して居ます。

 

今回は、三浦半島としました。

 

この計画は以前から決まっていて、私、かなり具合が悪かったのですが、ご一緒させていただきました。

 

 

ルートは、三浦でのイチゴ狩り、城ケ島での昼食、そして三崎でお買い物です。

 

まあ食べ物だらけですが、パートさんの楽しみは、おしゃべりと食事そして買い物ですから、その三要素を外さないよう配慮したものです。

 

★私共の工場前から、出発です。人数に合わせた、小型バスをチャーターしました。

 

★イチゴ狩り園の前に有った野菜市場です。いろいろな人が混じっていますよ。

 

★イチゴ狩りです、皆さん物も言わずに黙々と食べて居ます、やはり取れたては違いますね、凄い香りでした。

 

★途中河津サクラの街道を通りました、残念ながら二分咲き状態、でも、かなりの観光客が歩いて居ました。

 

★マグロですね、これは美味かった、私は未だに少し口が苦いのですが、この中トロはすーっと入ってくれました。筋の少ない生中トロ、これは東京ではなかなか食べられないですね、お金を沢山払えば別でしょうが(笑)

 

★ここは、三崎の「うらり」という市場です、平日の為に客はこんな状態ですが、マグロだらけでしたね。この上に野菜市場が有ります。

 

 

いやあ、とにかく、しゃべって食べて、これがウーマンパワーと感じましたよ、本当に喜んでいただけたかは、その笑顔と態度で分かりますね。

 

皆さん主婦さんですので、帰りは五時として居ました、運転手さん、きちっとこの時間を守っていただきました、お見事、お見事!!!

 

お土産沢山で、ご家族に振る舞うのでしょう、自転車のカゴに荷物を満載させてのご帰宅でした。

 

さあ、来年は何処にしようか、だんだんと行くところが無くなってきたなと、幹事の女性と私、う~ん、来年考えよう(笑)

 

失礼しました。

 

 

宅配の思い出 8

宅配の思い出です、怖い怖い思い出、これは一度は書いて置こうと思った出来事です。

 

十数年も前の話です、ある、高級マンションのお客様から、保管の品物を届けて欲しいと電話が入りました。上野毛の多摩川を見下ろせる高級マンション、私は品物をそろえて伺いました。

 

マンションに着いた時点でお客様に電話を入れます、そして更にマンション入口でホーンを鳴らして、中に入ります。

 

そうしたら、エレベーターがやけに混んでいて、マンションの住人と一緒にエレベーターに乗るのを遠慮した私、お客様は二階なので非常階段で行こうと思いました。ちなみに、このマンションへのお届けは初めてでした。

 

☆これはこのマンション内では有りませんが、こんな感じでしたかエントランスは、奥の方にエレベーターがあり、その奥に非常階段が有りました。

 

 

非常階段は、エレベーターの奥、マンションの外れに有りました。私はその鉄の扉を開けて、これから起きることを予想もせずに、非常階段スペースに入りました。

 

そして入った途端、カシャーンとドアの閉まる音がしたのです、その音に非常に嫌な感覚を覚えて、まさか!!と思ったのです。

 

しまった~!!、そうです、そのドア、内側からは開かないのでした。

 

☆こんな鉄扉でしたか、記憶です。こいつが、カシャーンという感じで閉まったのです。そしてこんなに明るくは有りませんでした。

 

 

階段は非常灯がついては居ましたが、ほとんど真っ暗で、試しに二階に上がりドアを開こうとしたのですが、やはり駄目でした。

 

ぞーっとしました、この階段、ここの住人はほとんど利用はしていないのだろうなと、そうなると誰も助けてはくれない、管理人室からは遠いし、ああそうだ電話だと、ガラ系の携帯を取り出して、電波が立っているか見たのでしたが、一本も立っていませんでした。

 

頼るべきは、これからお届けするお客様が気付いてくれるか、でした。でもなあ、待ち焦がれている訳でもないだろうし、積極的に探してはくれないだろうと悲観的でした。

 

ドアは開かない、携帯は繋がらない、さあどうしよう、私がこの非常階段に閉じ込められていることは誰も知らないんだと思うと、腹の底から冷たいものが上がって来ました。

 

私は最後の手段で、鉄の扉を叩くことにしました。そして大きな声を張り上げながら、ドンドンと扉をたたき続けたのです。

 

手が痛くなり始めて、声が枯れ始めて、でもたたき続けました。

 

頭の中では、このまま発見されなかったらどうなるだろう、などと過ぎりました。トイレは?、外に停めてある車は?、またまた会社では私が帰ってこないと思うだろうなと、あいつやはり失踪したかなんて思うだろうかと、頭の中を妄想が駆け巡りました。

 

30~40分くらいたたき続けたでしょうか、もうあきらめかけた時に、遠くの方から(遠くからのように聞こえた)、どうしました?どうかされましたか?と、声が聞こえたのです。

 

ああ、助かった!!

 

 

私は一層激しくドアを叩きました、ここです!!、この中に居ます!!と。

 

おそるおそるドアが開きました、そうして、ああ!!と、私の存在を確認してくれました。このマンションのご住人でしょう、上品な奥様でした。

 

ここ、入られたのですかと、ここ入ると外に出られなくなるんですよ、何だか防犯の為だと、私達説明されています。だから、ここの人達は誰も近づかないのですよと。

 

でもね、遠くで何かを叩くような音が聞こえて、来てみたのです。

 

いや~、ありがとうございました(心の中では救世主に手を合わせる想いでした)。ここのお二階のお客様にこのお洋服をお届けしに来たクリーニング屋です。本当に助かりました、ありがとうございました。私は何度も何度もペコペコと頭を下げました。

 

 

私は助かりました、そしてお礼もそこそこに、お届をせねばとお客様のお部屋に伺いました。

 

大変遅れて申し訳ございません、〇〇クリーニングです、と。お客様は何の疑問も持たずに、ああご苦労様と、品物を受け取ったのです(30分以上も遅れたのに)。

 

 

怖かった~、マンションの住人には、非常階段のドアのことは知らせれていたが、出入りの商人には知らされていない、それはそれなのかと思いながら、念の為に管理人室に寄ったのですが、巡回中との立て札、もう帰ったんだと、いろいろ諦めました。

 

俺だけじゃないよな多分、あそこに閉じ込められたのは、怖い想いをした人達はきっと沢山いるんだろうなと、帰りがけにその高級マンションを見上げながらそんな想いを広げたのでした。

 

 

教訓  気を付けよう!! 初めての恋と、初めてのドアには(笑)

宅配の思い出 7

☆ペットは家族同然いやそれ以上!!なんだ

いつものようにそのお客様に伺った時、奥様が泣いていたのです。それもボロボロと涙を流して、私は余程のことが有ったのだろうと思い、どうされましたと、聞いたのです。

○○ちゃんがね、死んじゃったの・・、

え!!、○○ちゃんて、ご家族のどなたかですか?

ええ、もう家族も同然なのよ、ずっと一緒だったワンちゃんよ、ずーっと15年もよ。


ここで私はしくじりました、次のセリフがそれです。

何だ、犬ですか・・・と、言ってしまったのです。

このセリフが、ストレートパンチのように効きました、それは奥様の表情がみるみる曇っていったことで気づかされた馬鹿な私でした。

私は自分の言葉の軽さ、犬と家族同然に住まわれているお気持ちを、受け取ることは出来なかったのです。

その犬は奥様にとりまして、家族いや家族以上の存在だったのです。

その日以来、お取引は無くなりました。会社に奥様から電話が入ったのです、もうおいでに成らなくて良いですと、あの人の顔も見たくないので、と。

この苦い思い出は、私に人の心の多様性を教えてくれました。その人がいったい何を大切にしているのか、それが大事なんだと。

宅配の思い出 6

☆宅配は、お客様の時計代わりになれ!!


これは私が宅配(当時は外交)を始めた頃に、先輩から教わったことです。


これを守るか守らないかは、私のやり方に掛かっているのですが、それほど物事にこだわりを持たない私は、何故かこのことに妙に納得したのです。

そして自分には、他に余り提供することはないかも知れない、お客様が待ちわびる程イケメンでもないし、クリーニングに精通している訳でもない。

何か問われれば会社に帰って聞いて来ます!!と、気の利かないことを言うだけの私、そんな私が提供できるもの、それが、時計代わりになれ!!、このことだったのでした。 


早速開始しました、そこは私共のテリトリーの一つ、桜ケ丘地区でした。その頃のお客様の数は80件程で、高齢化の為に自然減が必至の地区でした。

早朝一番のお客様は○○様で、クリーニング代も半端(この地区では一番)ではないお客様、このテリトリーの前任者は非常に時間が安定はして居なかったのです。

この時計代わりの実行で、この○○様がどのように変化して行ったのかを、書かせていただきます。

○○様のドアホンを押すのは、朝の8時45分でした。この前後2~3分の狂いは有りましたが、それ以上の違いは無かったと思います。


そのことに、お客様が具体的に反応してくれ始めたのは、この時計訪問が始まり1ケ月くらいでしたでしょうか。○○様の勝手口は、車を降りると見える所に有りました。

ある朝、さてドアホンを押そうかと思ってはっと気付いたのです、あれ、勝手口が開いていると。私は出来上がり品を持ちそっとその開いて居るドアに近づきました。

そうしたら中から明るい声が響いて来たのです、おはようございます三共さん!!と。いつもありがとう、今日はこれをお願いねと、クリーニングする品物が畳まれてその上にノートも置かれていたのです。

それが始まりでした、しばらくそのようなことが続いた後、ある日の夕方○○様から私の携帯に電話が来たのです、三共さん、私のお友達を紹介したいので、今から言う住所に伺って下さる?というご要望でした。

そうやってこの桜ケ丘一番のお客様は私に、その後もお友達を紹介下さったのでした。

イケメンなんかじゃない、クリーニングの知識も半端、そんな私がたった一つ守ったことは、自分にはこんなことしか出来ないと思ったこと、お客様の時計となれ!!と教わったことでした。


そういえば、この大切なことを教えてくれた先輩も、私に負けないくらい男前では無かったなあ(笑)と、詰まらないことを思い出しています。

失礼しました。

宅配の思い出 5

☆君は算盤(計算)が出来るんじゃないか!!

これ、誉め言葉でした。

私が宅配を始めて間もなくのころ、電卓と言う代物が出始めた頃です、まだまだ世の中計算は「算盤(そろばん)」でした。 

そこは、白衣類を出していただける法人でした、そのお客様を受け継ぎ間もなくのころです、経理の主任が私を呼びます。

「三共さん、この請求書おかしいよ、計算が違っていると思うからお店に持ち帰り、確かめてくれるかい?」

私は直ぐに、「あの~算盤を貸してくれますか?とお願いしました」

いぶかしげな眼で私を見つめた主任さん、でも直ぐに算盤を持ってきてくれました。

そして私は計算を始めました、そして間違いを見つけました。

その光景をずっと見ていた主任さんが、私に声を掛けました。

「君!!、算盤(計算)が出来るんじゃないか」と、私の肩に触れたのです。


見直したよと、主任自身の気持ちを伝えたかったのでしょう、私はそう感じました。

出入りのクリーニング屋の小僧さんが算盤(計算)が出来る、この事実に主任さんは驚いた!!、そういうことだったのかと思いました。

私は逆に驚きました、出入りの小僧達は「算盤」は出来ないと思われていた、そんな環境がこの主任さんの頭の中には巣食っているんだと、その現実に驚かされたのでした。

誉められた私、ここは苦笑いでしたが、それは表には出さずに(出ていたかも)、頭を何度かコクコクと下げながら、算盤を貸してくれたことのお礼を告げました。

私はこの時、この業界に入り間もないのでしたが、 世間のクリーニング屋に対する、いやそこに携わっている者達への、世間の評価の一部を感じざるを得ませんでした。

どうしたらもっと、評価の高い業界に成れるのかと、真剣に考え始めたのもこのことがきっかけだったと思います。

よくぞ言ってくれたと、君は算盤(計算)が出来るんじゃないか、というこの言葉 、世間の私共の現状(働いている者達に対する信頼度)に対する価値観を教えてくれたと、今でも私の心に刻まれています。

失礼しました。 

宅配の思い出 4

☆きっちりとしたお客様に感動
宅配の集金は、月末で一ケ月分を締めて、請求書を作成して翌月初めにお客様にお届けします。

ほとんどのお客様は、お届けした次の機会に、改めて請求をするのですが、その反応が様々で、それに慣れるのに多くの時間が掛かりました。

まるで払うという意思の見えないお客様、あのお勘定はよろしいでしょうかと尋ねると、決まったように「請求書来てた?」とテープレコーダーのように問うお客様。

そうやって一件一件のお客様の特徴を覚えながら、請求と言う業務をいかに軽くして、集金を円滑化するかが、私が挑戦した最初の課題でした。

請求書いただいたかしらと言うお客様には、もう一枚請求書を持参します。そして、次回の支払いの念を押します。中には、こんな品物内は出さないわと、内容にクレームをつける方もおります。

それも読み込み済みで、帳面を出しながら、請求書とお客様の目の前で合わせ、何月何日にお預かりして、何日にお届けしたと、確認をいただきます。そんなことを続けている内に、お客様は「参った!!」という姿を見せるように成ります。


それは、ある上場会社の社長さんのお宅でした。いつもお取引を担当するのはお手伝いさんで、奥様からの要望を私に細かく伝えてくれます。それは厳しい要求の時も有りましたが、出来ない時はお手伝いさんを通じて、説明をして貰いました。

そして月初め、請求書をお持ちし、お手伝いさんに渡します。 私がこのお客様を受けて初めての集金日のことです、何と奥様が現れて、ご苦労様でした、いつもありがとうと、封筒に入ったお金を私に渡してくれたのでした。

私は緊張しながら、その封筒を開けて中を確認して、円単位まできっちりと揃っていることに内心驚きながら、一緒に入っている請求書に領収印を押しながら、恐縮して奥様にお渡ししたのです。

これは考えて見れば当たり前のことなのですが、いざ支払うという場面では、なかなかしぶといお客様も多いのです。

私は思いました、頭に浮かんだのは「品性」という言葉でした。道徳性が高いとでも言うのか、ほとばしる品性とでも言うのか、ごく自然に出入りの商人に敬意を表すことが出来ることに、私は感動を覚えたのです。

流石だなあ、こういうお客様ともっとご縁を得なければと願いながらも、やはりそうもなかなか行かず、相変わらずテクニックを用いながらそれからも集金技術を磨いて言ったことは、私のもう一つの思い出です(笑)

宅配の思い出 3

何と言っても、私の宅配の思い出で今も心に残っている一番は、このことだろうと思って居ます。少々長くなりますが、ご興味のある方はご覧下さい。

☆届けられなかったモーニング
それは世田谷区等々力のお客様で、大層私共のクリーニングをお気に入り(私の思いこみかも)でした。

ある金曜日の朝、そのお客様から電話が入りました。モーニングをクリーニングして貰いたい、日曜日に主人が仲人をするので、間に合いますか ?、一日しか有りませんが・・・・と

私は直ぐに伺いますと、電話を切りました。

間に合わなかったら大変なことになるわ、駄目だったら言ってねと言われ私は、大丈夫です、必ず明日の夕方、お届けしますとお伝えし、モーニングを預かりました。

金曜日に預かり、その日の内にクリーニングして、土曜日のお昼にはモーニングは出来上がりました。

私はそれを立体包装して、いつでもお届け出来るように整えました。

その時です、私に小学校時代からの友から電話が入ったのです。本当に大事な相談があると、直ぐに逢えないかという電話でした。彼の父親が、かなり良くないことは聞いて居ました、そのことかなと思いながら私は、夕方逢うことを約束したのです。

頭の中から、すっぽりとモーニングのことは抜け落ちて居ました。今直ぐにでも届けられる姿でモーニングは目の前に掛けられているのに、抜け落ちてしまったのです。

私は友のもとに出かけました、そしてしこたま呑みました、帰ったのは夜なかで、翌日の日曜日起きたのは夕方でした。しかしそれでもモーニングのことは思い出さなかったのです。

月曜日出勤、そしてそこに吊るされているモーニングを確認した時、あらゆる記憶が蘇って来たのです。頭をハンマーで叩かれたような痛さとはこのことでしょう。

しまった~!!、俺は何をしていたんだ、これくらい取り返しの付かないことはないぞ!!、でも、お客様モーニングはどうしただろうかと、そんな心配も頭をもたげました。

あの奥様のお顔が、目の前に沢山浮かびました、そういえば昨日の日曜日に留守電が沢山入っている、無言でしたがきっと奥様だろう、ご主人に一番叱られたのは奥様ではないか、私はそう思うと、居てもたってもいられず、もう使わないであろうモーニングを持って一目参に等々力に向かったのでした。

あの光景は、何十年も過ぎた今でも忘れることは有りません。お客様のお宅は高台にあり、玄関は道から見上げた所に有ります。

その玄関は開いていて、そのドアにもたれかかり、煙草を吹かしている奥様がこちらを見降ろして居ました。私が来るだろうことを見とおしていらした、そうだったのかと思います。その姿に、情けないですが私はぞっとして居たのです。

そして私の足は金縛りに逢ったように動かないのです、どうしよう、何と言おうかと、頭で言い訳を今更考えている自分がいて、それが足を止めていたのだと思います。

自然に深呼吸をして居ました、そして何故か思ったのです、全部正直にお話ししようと、そう思ったら足は自然に玄関までの階段を上がって行きました。


どうしちゃったの?

モーニング借りたわよ!!間に逢ったから良かったものの、どうしようも無いわねお宅は、主人はカンカンだったわ!!

私は頭を下げたまま、上げることは出来ませんでした。


全部話して、聞きたいわ、何故モーニングが今朝になったのかを

私は、全部正直に話しました。全部です、そしてそれが許しを乞うことにならないことも承知して居ました。

とにかく謝ろう!!、そして感謝して引きさがろうと思ったのでした。

ふーんと奥様が言ったような言わなかったような、モーニングを受取っていただき、私はその場を辞しました。


翌日私は菓子折を持って、改めて謝りに伺いました。奥様は留守で、お手伝いさんが受取ってくれました。お手伝いさんも何が起きたかご存じで、でも何故か私にやさしかったのでした。

それから一か月程でしたでしょうか、週に二回伺っていて、その後クリーニングは一切出なかったのですが、その一ヶ月目に伺った時に、ドアノブに、袋に入ったワイシャツが下がっていたのです。

○○舎じゃないよなと中を確かめると、確かに私共のノートが入って居ました、私はそれを見た途端、何故かドッと涙が溢れて来たのです。またお客様として続けて下さることへの嬉しさに、涙が自然に溢れ出したのでした。

届けられなかったモーニング、これは私の人生の、大きな楔となったことは間違い有りません。


教訓 起こしてしまったことに言い訳をしないこと


失礼しました。 

宅配の思い出 2

☆見事な引っ越し(夜逃げ)
これは見事でした、そのシュチュエーションとも言える前日祭も、今から思えば演出だったのだと思います。

ある日お客様から電話が入り、カンカンでした。ブランド品のブラウスのシミが落ちていない!!、何をやって居るんだお宅は!!、弁償して頂戴!!と、何かあると弁償弁償と唱えるお客様でした。

すぐに飛んで行き、そのブラウスを預かりに行きました。そんなにシミは無いけどなと思いながら、あの~、ご集金はいかがでしょう?とおそるおそる尋ねました。

何言ってんのよ!!、それが無事に出来てからよと、このお客様の請求額は確か15万円程有ったのです。一か月分では有りません、数か月溜まっていたのです。

そして翌日、私は前日の内にブラウスのシミを直し、直ぐにお届けをして、集金をせねばと焦っても居ました。

すぐに怒鳴りつけるお客様、でも外見は上品な奥様です、その度に、頭の中で私は「人生変えた方が良いよ」と呪文を唱えて居ました。 

そこは閑静な住宅街、玉川田園調布の一角です、私が近づくと何やらその家に人だかりが出来て居ました。

米屋さん、酒屋さん、そして商売は分かりませんが集金に来た業者さん達でした。そしてドアの前には、ポケットに手を突っ込みながら、ドアを足で蹴って居るその類のお兄さんもおりました。

近づくと何やら話をして居ます、それは・・・・、


お宅はいくら有るの、内は~円くらいと、集金額のことでした。私が近づくと、ああ、クリーニング屋さん、居ないんだよこの家!!と、昨日私を怒鳴りつけた奥様の家を指して居ました。

居ない!!、何で!!、と、私はそのお兄さんを無視して、その家のドアを叩きました。もぬけの殻というのでしょうか、家全体がひっそりとして居ます。どう見ても、中でそっと潜んでいる雰囲気では有りませんでした。

居ねえよ!!畜生、逃げやがったと、お兄さん



ということは、私が昨日去った後、その夜なかでしょうが、夜逃げ屋本舗さんでも雇ったのか、引っ越してしまったのですね。

誰かが警察も呼んだのだと思います、お巡りさんも来ていて、家の様子を見てくれて居ました。業者たちはそれぞれ警察に行き、被害届を出しました。

その後も消息不明でした、結局染み抜きのブラウスと、溜まった集金は焦げ付いてしまいました。

教訓 危なそうなお客様は、現金での取引とすること

でも、危なそうな雰囲気は有りませんでしたね、しかし数か月溜めたのですから、 危険範囲でした。アホな私です、とほほほほ・・、

思い出せば丁度この頃、バブルが崩壊した頃でした。田園調布辺りででも、一晩で居なくなったお宅がかなり有ったとか、噂は広がって居ました。

でも、まさか、自分のお客様がと、事実は小説より奇なりとはこのことでしょう。

あの奥様どうしたでしょうか、あの時私を怒鳴ったのも精一杯の演技だったのかも知れません。 

失礼しました。 

宅配の思い出 1

☆気を効かせたつもりの、私のアホさ
これは私の、クリーニング宅配時代の苦い思い出です、今は宅配ですがあの頃は「外交」と言って居ました。

あるお客様、家が左右に分かれていて、左側がおばあちゃまの一人住まい、右側が、息子さん夫婦の住まいでした。ポイントは、お嫁さんだったことです。

ある日、おばあちゃまから、どうみても少年のズボンが出ました。私は、ああこれはお孫さんのだなと察したのですが・・・・、

私は出来あがったそのズボンを、右側の家に届けたのです。これが私の若さと申しましょうか、浅い考えと申しましょうか、この二件の良いお客様を落としてしまう結果となったのでした。

教訓 預かった品物はいかなる理由があろうと出された家にお届けすること

私は気を利かせようとしました、これは、お隣のお孫さんのものだ、だったら、お隣に届けよう!!と、そして実際そうしたのでした。

その時の若奥様のお顔は、今でも覚えて居ます。それは何とも言えない、心の内側を覗かれてしまった子供のようなお顔とでも言いましょうか・・・、

若奥様は、何もおっしゃらずに、そのズボンを受取りました。

私は結構慌てました、何か非常に不味いことをしてしまったと、私のDNAが騒いでいたのです。

ああ、すみません、お隣のノートにチェックしますのでと、訳が分かったような分からないような言葉を残してその若奥様の空気から逃れようとしたのです。

参ったなあ、勇み足だったよな。多分おばあちゃまが、あまりに汚ない孫のズボンを、そっと私に預けたのです、その気持ちを受取らずに私はそれを、お隣に届けてしまったのです。

私は、非常に大きなマイナスのお手伝いをしてしまったようです。

勿論その後、この二件のお客様からは、クリーニングが出なくなりました。というより、いつも留守で、お出にならなくなったのです。

昔の宅配の思い出の一つでした。おもんばかる、損拓する、こうであろうと思ってそれを実行する、考えの浅い若者のこのようなおもんばかりの怖さを知った、一場面でした。

失礼しました。 

バレエ衣装をお取り扱いさせていただいて

もともと、衣装は、洗えないものです。洗うことを前提とせず、見栄えの良い飾りを付けて、また色が流れてしまうのを承知で、美しい色の生地でデザインをされて居ます。

しかしその衣装は、激しい踊りやパフォーマンスにより、どんな服よりも汗を吸収し、埃を吸収し、いわば汚れまくる訳です。

そしてその衣装達は、かなりの高額です。舞台映えを第一に考えるとシルクの使用を多くしようとします。人の遠目でも、シルク地と綿では、各段の違いがわかるからです。

つまり、次々と新しい衣装を創るのではなく、再生しながら次の舞台でも使用して行こうと成ります。ここに、クリーニングのプロが必要にはなるのですが。

しかし、クリーニングのプロと言っても、別に目新しいことが出来る訳では有りません。もし、違いがあるとすれば、経験だけだと思います。

生地がシルク、その周りがラメと飾りで溢れている、そのシルクの淵は、汗とドーランで汚れまくっている、さあそれをどうやって次のメンバーが気持ちよくお召しに成れるようにするのか、その経験の繰り返しが、今の私共の対応となって居ます。

飾りやラメは、漂白作業をしますと、ラメ消失という事態が起きます。シルクを漂白しますと、生地そのものが変化し、褐色現象を起こします。袖や、襟に撒かれているライン上の生地は、多く色が流れます。

そんな条件の下で、一番要望されるのが、匂いの除去です。汗と水溶性の汚れの中にその匂いの基がありますから、それらを除かないと匂いは取れません。

そんな大矛盾を乗り越えながら、一点一点を向かい合い、洗浄方法を決めて行きます。

この洗浄の基本は、京都発が多いです。つまり着物洗いの基本を取りりいれております。着物は衣装と同じく、全体を洗うことが難しいです。

そこで発達したのが「生き洗い」という方法です、簡単に申しますと、部分洗いなのですが、その細かさと丁寧さはいつも脱帽ものです。

衣装は一点一点、経験を糧としながら判断し、いつも思うのは綺麗にした衣装を新たにお召しになり、舞台でパフォーマンスするメンバーさんが気持ちよくお召しになっていただく、頭の中にはこれしか有りません。

大腿骨骨折

「洗濯屋親父のひとり言」に載せるような記事では有りませんが、一つの経験として掲載することと致しました、まあ、恥ずかしい限りです。

折れるんですね、大腿骨、でも治るんですね、現代医学では。

コンビニの車止めに躓き、そのまま空中へ投げだされて、左腰からコンクリートに落ちました。落ちた瞬間何故かやってしまったなと、本能が私に伝えて来ました。

しばらくして救急車が来ました、親切な通りすがりの若者が119をしてくれたのです。救急隊員は私の足を見るなり、折れて居ますねと、非情な言葉をくれました。

折れている?(半分分かっていたのですが)

ええ、足が外側に向いて居ます、これは大腿骨が折れている形何です。

さあ、ちょっと痛いですよと、救急隊員の二人が、私をストレッチャーに乗せてくれました。痛い!!という表現は当らず、全身にビリビルと疼痛が走りました。こういう痛みは初めてでした。

救急病院に運ばれて、レントゲン、CTと検査、CTは知らないうちに頭を打っていないかという検査の為でした。

そして先生が私におっしゃいました、良く有るパターンの骨折ですね、結構ぐちゃぐちゃに折れていますので、大腿骨の交換手術をしましょう。

軽くものを言われた私、その軽さは、返って私に安心をくれたのです。良く有るパターンの骨折、これは完治しますよと言われたと感じたのです。

ここに言葉の重さが来たら、まずいなあ、もう歩けないのかとか、嫌な想像をしてしまいがち、この先生の明るさと軽さが、私の気持ちを助けてくれました。

そしてあっという間の全身麻酔での手術、あんなに痛かった太ももの部分、痛みが何処かえ飛んで居ました。

そしてすぐにリハビリ、手術から約2週間、私はほとんど元のように歩けるようになり、退院することが出来ました。

これが昭和の時代だったら、こうは行かなかったでしょう。全身を石膏で固められなんてことを聴いたことか有ります。

すみません、ホームページに相応しくないこと、記事とさせていただきました、ご容赦いただければ幸いでございます。

これから少しずつ、記事の更新を再開させていただきます。

ネット宅配が、一つの文化となる日

先日、リナビスというネット宅配クリーニングが、カンブリア宮殿に出演したことを書きました。

それ以来、お客様がネットを見ながら、そうか、宅急便でクリーニングに出せるんだと思われたどうかは分からないのですが、急に私共のへの注文が増え始めました。

平成29年度現在で、ネット宅配クリーニングの利用者は、クリーニング利用者の3%未満と言われて居ます。これは、特に信頼出来る統計はないので、何とも言えませんが、そう間違っては居ない数字と思います。


昔昔、スーパーダイエーが誕生しました。それ以来、全国にスーパーが 広がり、小売りの商圏はスーパーオンリーと言っても良い程、日本全国を支配して行きました。

もうそこに新しいビジネスモデルが出来る隙間はないと言われていた時、コンビニという、小さなスーパーが出来始めました。おいおい、お客様は来るのかいと様子を見ていた人々が、その手軽な感じのコンビニの便利さに気が付き始めました。

それが今では、全国に5万件はあるでしょう、近くにコンビニが有るかが引っ越しの主要条件となったりしてそれは、大きな一つの文化と成ったのでした。


クリーニングを宅配で送る?、そんな面倒なことと未だ沢山の人達がそう認識していると感じます。でも、いかがでしょう、お店に持って行き、そして取りに行く、それも並んでいることが多い、これって合理的でしょうか。

家にいたまま、クリーニングに出せる、それも信用が出来る業者が分かり始めて来た。そして約束の日に出来あがって来る、保管もしてくれる、これって至れりつくせり、です。

しかし、実際に利用して見ないとその良さは分かりません。

今はまだ全利用者の3%、それが近い将来に、5%、10%になる日が来ると思っております。その時そのビジネスモデルは、一つの文化を形成したと、言えるのだと思うものです。

カンブリア宮殿

カンブリア宮殿という番組に、ネット宅配クリーニング「リナビス」が紹介されて居ました。

リアクアと名前が似て居ますが、関西にある同業他社です。

その中で、リナビスの基となった東田クリーニングの特徴を説明されていました。そしてその中心に歴史的に存在していた「愛」とも言えるもの、それが「おせっかい」なのでした。

黙って、毛玉は取る、綻びは直す、気付かれなくても良いんですとホームページには書かれて居ます。

この発想と、もともと有った東田クリーニングの特徴を掴み、それを展開したのが、息子さんでした。今は、社長です。

この番組の全体に流れていた「新しいクリーニング」に私は非常に好感を抱きました。しかし、ちょっと戸惑ったことが放映されて居ました。

それが提携工場を求める動きでした。品物が増え始めたから、他の工場(会社)を探して、協力を求めることは悪くはないのでしょうが、きっと「品質」で悩むと思ったのです。

長いことクリーニングをやって来て言えるのは、いかに各工場で品質は違うのかということです。これは言葉で直ることでは有りません、血肉に刻みこまれた体質なのです。

この体質をどう合わせて行くのか、これがこれからの「リナビス」さんの大きな課題と思いました。

すみません、つい上から目線となって居ます。


リアクアは、スタート前の段階から、この点を一番考えて居ました。必ず品物は溢れる、信用が益すほど溢れる、これは分かっていることです。

それを、スタート前から見込んたのが 「リアクア」モデルです。売上が一円も無いのに、全国から協力工場を求めて、53社が集いました。そして一年間、品質を同じにする学び、研究会を開き続け、53社は統一の品質を造り上げました。

その上で、スタートさせたのが「リアクア」です。地産地消、神奈川県で出した品物が北海道に行くことはない、神奈川県の品物は神奈川県の工場が扱うという、優しさをコンセプトとして居ます。

このコンセプトが、第一回日本サービス大賞優秀賞(http://service-award.jp/)の受賞に繋がりました。


結果、品物にも優しい、料金にも優しい、宅配業者にも優しい、ネット宅配クリーニング連合「リアクア」は、生まれたのです。

すみません、やはり「リアクア」の宣伝となって居ます、ご容赦下さい。



オーチャードホールにバレエ衣装の集荷に伺いました。

昼が長くなったんだなあと、思いました。冬の集荷は、夕方はいつも真っ暗で、楽屋の灯だけが頼りという感じでしたが、今日は違いました。

オーチャードホールの楽屋口前で、衣装を受取ったのですが、そこはいわゆる「出待ち」ファンでごったがえして居ました。ファンって良いなあ、凄いなあと思いました。

そのファンの方々 、運ばれてくる衣装達に観入ってくれて居ました、これ、さっきまで踊っていた衣装だわとでも思われたのか、その時私は思いました。

少しでも綺麗にさせていただこうと、バレエショーは、その演技者は勿論ですが、その次にこの衣装達が主役だと思うからです。

また、逢いましょう、綺麗になった衣装をお持ちしますと・・・。

お金持ちって?

これは私が宅配(数十年前)をしていた頃の思い出です。私は「お金持」が実際どういう世界なのか、これまで実感は有りませんでした。 

そう、それはある日のことです。そのお客様のガレージに、あの車が止まって居ました。あの車、そうです「ポルシェ911カレラ」です。へえ、どなたかお客様かと思いながら、クリーニングのお届けに伺いました。

私が、車のことを気にしていることが「バレタ」のか、奥様が独り言を語り始めました。

パパが、車を買ってきちゃったのよ。

エエ!!、下のポルシェですか?

そうなの、それも現金で、一言私に言って欲しかったわ


私は、その言葉を聴きながら、そうなんだ、これがお金持という世界なんだと、人間は全て平等!!などと思っている私の脳天を、強く叩かれました。

勿論、何が有ろうと「平等」には違いないですが・・・トホホホ

このポルシェ、確か新車で1600万円とか(これ奥様が言ったのではなく、私が勝手に調べました)、それをキャッシュで・・う~ん

気が付いたのですが、奥様は、自分がお金持であることを少しも気づいて居ないのではないかということです。世の中の人達は全部、そうやって買い物をすると、思っているのでしょう。いや、分かりませんが。

でも、一言、こんなことを私に教えてくれました。

今度、パパが園遊会に呼ばれたのよ、パパは行きたくないって?

どう思う?


奥様、私を誰だと思っているのでしょうね。みな、平等には違い有りませんが(笑)

東京、杉並からわざわざおいで下さいました。

私共は、川崎の武蔵小杉に近いところです。私共のホームページをご覧いただき、娘さんのバレエ服をお頼みしたいと、わざわざ来社下さいました。

電車で片道一時間は掛かります、そして武蔵小杉からはバス移動です、そしておまけに寒さと雨、そんな中本当にありがとうございました。

私はお客様に詰まらない質問をしました、近所のクリーニング屋さんは扱ってくれなかったのですかと・・・・、

ええ、駄目なんですって!!

その理由は以下でした。

①クリーニング指示マークがついて居ないこと 
②飾りのラメが、縫われていないこと

この二つの理由だったそうです。


私は、衣装のクリーニングにご縁を得て、クリーニングに対する考え方が変わりました。何故なら衣装は、いわゆる「洗い」が出来ることを前提としては作られて居ないことです。

厚生労働省が認可する、洗える商品外なのです。つまりクリーニングマークは付けられないのです。それをクリーニング業者が扱うとそれは100%、扱った業者責任となる訳です。

そんなリスクは背負えない、これが本音と感じました。

よく、テレビの宣伝でファブリーズでクリーニングした!!と、訴えて居ます。あの宣伝はどうなのか、文言に問題はないのかと、業界でもめていたみたいですが・・・・、

私は問題ないと思いました。ここにクリーニングとは何なのかという基本命題が有ります。私は衣装を扱い始めてから、こう考えるように成りました。

1.クリーニングとは、水や溶剤で「洗う」ことが大前提ではないこと

2.その服についているであろう、雑菌やほこり、匂い、見える汚れ、それらがその服のデザインが守られて、その多くが取れればその方法は問わないこと 

1.が従来のクリーニング意識、2.がファブリーズが宣伝している変化意識と思って居ます。


バレエ衣装を始め、いわゆる衣装達は上記したように、クリーニングを前提として作られてはいません。カラフルな色からは、必ずと言ってよい程、色が拡散します。着用時の汗でも、広がるのです。

それらを洗う、それは必ずしも「丸洗い」ではないことを学んで参りました。今回お預かりした衣装も、ラメ飾りが貼られて居ます、それを気をつけながら、どうやってチュチュの張りを取り戻せるのか、それはプロの役割と強く感じました。

お客様、わざわざ、杉並からありがとうございました。ご期待に添えるよう、大切なご衣装、クリーニングをさせていただきます。

ある青年に感動しました。

碑文谷のお客様に、羽毛布団をお届に上がった時のことです。

そのお客様の住所を左側に観ながら、ゆっくりと車を進めて居ました。この辺かなと思ったその家の脇で、サッカー のリフティングをやっている背の高い青年が、私に近づいて来ました。

青年 うちに御用ですか?

私  何々様でしょうか?、はい、羽毛布団をお届に上がりました

青年 (とても素敵な笑顔で)ちょっとお待ち下さい、母を呼んで
参りますので。

と言った途端、だっとのごとく玄関を扉を開けて、お母さん羽毛布団が来たよ!!と、大きな声で呼んでくれました。そしてこちらに向き直り、少しお待ち下さいと言いつつ、元の場所でリフティングを始めました。

その後ろから、満面の笑みを讃えたお母様が現れて、ご苦労様ですと羽毛布団をお渡ししました。

そして車に乗り込んだ時にその青年に「ありがとう」と声を掛けました。リフティングを一時的止めた青年、これまた何とも言えない笑顔を向けて「お疲れさまでした」と、とても爽やかでした。

言葉にするとただ、これだけなんですが、何故か私の胸の中では涼しい春の風が吹き続けました。

それは家族の優しさを感じたからでしょう、それに私の心は感動していたのです。有りそうでなかなか無い、家族の優しさを讃えた親子に出逢えたことに、物凄く幸せをいただきました。

ありがとうございました。 

あるクリーニング店の「閉店のお知らせ」

ある老舗クリーニング店の「閉店のお知らせ」がネットに拡散しています。

鹿児島から東京に15歳の時に上京し、それから65年、アイロンだけを友に磨き上げて来たその技術に終止符を打つ、案内文です。そのアイロンを置きますと、書かれているのを読んだ時私は涙が湧きあがるのを感じました。 

65年という長い歳月、しかし過ぎて見ればいつもそれは短いのです。

私は、父を思い出さずには居られませんでした。父はやはり同じように群馬から上京しました、父は12歳でした。大正13年、関東大震災の翌々年に上京したのです、まだ母恋し少年の、丁稚人生が始まったのです。

それが神田のクリーニング店、屋号は「三共クリーニング」これは私の物語の始まりでも有りルーツと成りました。

この閉店文は、それを思い起こすには十分でした。本当にお疲れさまでした、まだまだ続くこれからを、お幸せにと祈らせていただきました。 
実際の「閉店のお知らせ」です。丁寧な手書きです。
昭和9年に、父が26歳の時に開業したクリーニング店の写真です。場所は田園調布駅から数分の所です、今は美容院となって居ます。

染み抜きに思う

染み抜きとは何だろうか、何十年もやってきた染み抜きですが、いつも同じことに悩んで来ました。

ベニスの商人でしたか(間違っていたらすみません)、裁判で肝臓を取られてしまう場面が有ります。その時に、こう訴えるのです。肝臓をやっても良いが、血を一滴でも採っては成らないと。

こんなオーバーなことでは有りませんが、シミを抜くということは、その品物が持っている元来の色を少しも抜くことなく、シミだけを除去すること、ですね。

品物を飾っている色彩も、所詮色を糸に掛けたものです。その色とは染料と呼ばれる、細かい粒子なのです。私達が観ている洋服の色とは、この小さな粒が糸にくっついたものなのです。

シミも、何等かの粒子が生地についたものです。それを取り去ることが出来るのか、染み抜きをやる度に、以上のようなことを思うのです。

肝臓は上げると言ったが、血まで上げるとは言って居ない!!、こんな矛盾がいつも私の目の前に広がっています、それは腕が未熟なせいかも知れませんが。

シミは抜いて良いが、生地の色まで採って良いとは言ってませんよと、この言葉がいつも私を奮い立たせます。

クリーニング屋殺すにゃ刃物は要らぬ

雨の三日も降れば良い(笑)

この言葉は、昭和の時代、クリーニング業界で囁かれていた言葉です。

雨が降ると、仕方がないクリーニング屋に出そうかと思うのが普通と思いますよね、ところが人の心理ってそういう風には働かないのです。

これは殆ど気持ちの問題です、雨が降る、心は憂鬱になるかも知れない、何もやる気が無くなる、掃除も明日にしようと、雨が人の心に微妙な変化をもたらします。勿論、元気になる人も居ますが・・・。

ですから、家で何もやる気がなくなる、そしてではクリーニング屋にでも出すかとは思わないのです。それも面倒な訳です。気分が乗らなければ、人は動かないのですね。

月曜日、カラッと晴れて、ようし今日は掃除も洗濯もやるぞ!!と気持ちが180度変われば、そうね冬物も整理しなくちゃとルンルンと心が動くのです。

そうだ、クリーニング屋さんに電話しようっと、いつもの人来てくれるかしら、何て(笑)

私共が、バレエ衣装を扱うようになったきっかけ

それは今から6年くらい前でしょうか、ワイシャツや白物を洗う水に「オゾン水」を導入しました。これには沢山の理由が有ったのですが、その理由の一つに、プロの水洗いとは?と考えたことが有りました。

オゾン水(http://xn--kckxbyjs74u.net/ozone-abc/)は強い殺菌作用があります、そして除臭作用も抜群です。つまり、オゾン水で洗うと、ご家庭の水洗いとは全然違う結果が得られるのです。これがプロの洗いだと同時に思ったのです。

でも、何度も躊躇しました。それはその設備費でした、でもこれしかないと突っ走ったのでした。

私共は、水洗いに「オゾン水」を使用して居ますと、ホームページに掲載しました。そうしたら、頭に描いたお客様とは全く違った方面から問い合わせをいただいたのでした。

それがバレエ貸衣装の最大手、アトリエヨシノ様でした。アトリエ様の仕事は貸バレエ衣装、その衣装を貸し、使用した後には汗が滴っているのです。それが回収されて、洗い、そして新たなお客様に貸していく訳です。

その中で、一番の悩みが「匂い」の除去でした。


お宅、オゾン水で洗うって本当?、一度伺って良いかしら・・・と、わざわざ相模湖の本社から、工場見学に参られたのでした。それからです、私共がバレエ衣装と関わり始めたのは。

アトリエ様から、大変厳しい品質の指導をされながら 、バレエ衣装の洗濯のポイントを習得して行きました。そして何よりアトリエ様が満足されたのは、匂いが消えたことでした。それはオゾンパワーでした、これにより私共は、どんなに自信を得たことでしょう。

以上が、私共がバレエ衣装をお取り扱いするきっかけです。バレエ衣装を扱おうと狙いを定めた訳ではなく、全く予期せぬことからそれは始まったのでした。

何かに導かれて今がある、これには感謝しか有りません。 

桜咲く(クリーニングシーズンの到来です)

冬が戻ったり、急に暑くなったりを繰り返しながら、桜が咲いた。この桜を見る度に、日本に生まれて良かったと思う。今年の桜は、花見の人達にとっては、溜まらないものに成りそうです。

昨日の満開宣言から晴れ、そして今日の日曜日を含めて今週は、穏やかな晴れに恵まれそうですから、桜も安心して咲き続けるでしょう。

私の記憶ですが、今から50年近く前に、桜の花びらの上に雪が積り、桜の雪化粧という景色が広がったのです。何と言うことと思いながらも、その美しさに目を奪われて居ました。

桜咲く、これは同時にクリーニングシーズンの到来です。この季節がくるたびにお客様は、さあ何処に出したらと、新しいお医者さんを探すように、クリーニング店を探すのかも知れません。

迷われたら一度、リアクアにお電話下さい、後悔はさせない自信有ります。 

☆リアクアへのお電話は、このホームページ「リアクア」からお願い致します。 
桜並木を散歩する親子三人、こんな景色があちこちで見られるでしょうね、今年は。

ネット宅配をどうぞ

私共の、都立大学店舗が残念ながらこの3月末で、閉店を迎えます。そんな中、その都立大学店のお客様から川崎本社へ電話が入りました。


あの~、都立大学店に出していた○○と申しますが

はい、ありがとうございます。

お店が無くなってしまうのですね、残念です。やっと良いクリーニング屋さんを見つけたのに・・・・、

ありがとうございます、そして申し訳ございません。

いろいろあるのよね、でも、ネット何とかに出すと、貴方の所で洗って貰えるって聞いたわ、でも、どうして良いかわからないのよ

あの~、リアクアと書かれたチラシはお持ちでしょうか?

有るわ

そこに、大きく「電話番号」が書かれて居ますよね?

これかしら、0570 ○○○

そうです、そこに電話を掛けていただくと、ご案内係りが出ます。全国ネット宅配リアクアのインフォメーションセンターです。わからないことは、全て親切に案内してくれます。

分かったわ、掛けて見るわ、要は貴方の所で洗ってくれれば良いのよ、お願いしますね。

ありがとうございます!!、お待ちしております。


こんな電話のやりとりでした、感動もしました。やっと良いクリーニングを見つけたのにと、お客様の本当の本音を感じました、涙も出て来ました。

しかし思いました、ネット宅配クリーニングってどうやって出したら良いの?と、常に新しいやり方って、冒険なんだと実感したのです。

大袈裟に言えば、これって新しい「文化」です。何とかモバイルでは有りませんが、めまぐるしく変わる文化、実に追い付いては行けません。分かっているような振りをしているだけです。

ネット宅配クリーニングは、洗濯物を袋でも、段ボール箱でも、入れて閉じて、後は宅急便に電話を入れるだけです。それだけで、中三日か四日で、美しく仕上げられたクリーニング品が届きます。非常に簡単です、でも経験しないと、何だか面倒と思ってしまうこともあるでしょう。

でもお考え下さい、従来は、お店に持っていく、並んでいることも有る、そして出来上がったらまた取りに行くこんなことを繰り返して居ませんか?、でもずっとそうして来たからそれの方が面倒がないと思ってしまう。

このようなことが、お客様の心で起きているそう思っております。いかがでしょう、この春に、一度ネット宅配クリーニング「リアクア」をお試しいただけたらと願っております。

https://www.reaqua.jp/

リアクアへは、上記URLをスクロールクリックして、ホームページをご覧ください。
 

お彼岸ですね。

彼岸とは、彼の岸と書きますが何故なのかなと、真冬のような今日ですが、調べて見ました。日本語って、その漢字から意味を探ることが出来ます、凄いなと思います。

既にご想像かと思いますが、お彼岸とは「彼の岸」つまりあちらの世界ですね。ではこちらは?、此岸(しがん)だそうです。しがんって余り使いませんね。

しかし今日は寒いです、昨年桜が開花した時に、やはりチラホラと桜のような雪が舞いました。雪と桜と花見、どんなに寒くても日本人はこの季節を楽しみたいと必死のようです(笑)

お風邪を召さぬよう、お出かけの方はお気をつけ下さい。
これは、昨年秋のお彼岸です、墓参り風景です。

大震災から7年です、もう7年ですね。

あの時私は、鮫洲の違反者講習を受講して居ました。受講して15分くらいでしょうか、突然の大揺れ(震度5強)で、教室はグラグラと横揺れしました。

遠くのコンビナート(千葉)からは火が出て居ました、これはただごとではない、違反者も先生も、同じことを感じました。

すぐに外に出て下さいと先生の号令、その教室は老朽化していて危なかった、そういうことも有ったかと思います。お陰で、2時間の講習が、15分でハンコを貰えたのですが、それは少しも嬉しいことでは有りませんでした。

それから数分、あの大津波の情報が入り始めました、誰もが経験したことのない大津波、更に大変な被害が広がったのでした。

東日本大震災で犠牲に成られた方々共に、未だ発見されて居ないご遺体が少しでも早く発見されることを祈りながら、改めてご冥福をお祈り致します。

 

お客様からの素朴な疑問や

ネットからの質問に、出来るだけお応えしたいと思い、洗濯屋親父の独り言をオープン致します。

創業昭和9年、私が受け継いでから早50年近く、この業界にどっぷりと浸かって来ました。でも、この頃の宅配青年達は全く違う業界からの参入者達、彼等から見れば私はクリーニング馬鹿です。

その馬鹿が、クリーニングのことだけは少しはお応えできるのではないかと、思いました。

どうか、クリーニングに対する疑問・質問・どうなってんの料金ってと、色々あると思います。

そんな疑問のある方は、このページ(下↓)の「コンタクト」にお気軽にお書き込み下さい。

お待ち申し上げております。